昭和42年9月7日 夜の御理解



こちらが一心にかけて、お神様に打ち向かう、うー、と、やはり神様も、それを、その一心を受けて下さるための、おー、働きといったようなものが、信心をして行くうちに感じられます。なるほど、神様が受けて下さっておるんだなあといったような事を感じます。
今日は、先ほども、熊本の山田さん、自転車で今日はお参りしておられます。丁度、自転車で五時間、帰りは七時間かかるそうです。電気を付けられますから、また自転車が重くなる。まあ、ほんとに、そしてここで、えー、まあ、ご祈念をして、もう直ぐ帰られるわけなんですけれども、たった、それだけのためにですね、一生懸命、こう打ち向かって、ね。ですからそれを、神様がやはり、受けて下さらん事はないと、また、受けて下さるという実感がなからなければ、また、この身を代わって、ゆっくり立ちなさり、ご飯でも頂いて帰りなさいと申しましたけれども、それでは、また明日の御祈念に差し支えるからと言うてから、帰られました。
今朝、あのう、また福岡の高橋さんところの職人さんでありました、竹河原さんという人が、今、丁度、辞められまして、他のところで働いております。それで、今日、予期的な事がございましてから、あー、今日は、親先生方にお参りさしてもらおうと思うて、丁度、夕べの、終の電車で久留米まで来ております。それから、終の電車で、こちらへ向かって、歩いて、勿論バスがございませんから、歩いて、ここへ、昨日、二時半に着いておられます、朝の。その道すがらのこと、もう、言うとられましたがもう、とにかく、あの、久留米を下りて歩き出したら、はが疼き出して、こりゃ、こげなこつではもう、お参りが出来るじゃろかと思いながら、まあ、一生懸命歩いていきましたけれども、ずっとこの、歩き続けて丁度、以前のお広前の椛目の横に参りますころには、もう、不思議なくらいに、ひろっとこう、おかげ頂いておった。けれども、歯が痛みよったから、足のほうの痛いとは忘れとったち言う。ね。ところが、歯が痛い、あの、良くなり出しましたら、今度は足が、やはり歩きつけないのに、三里からの道を歩いてきとりますもんですから、まあだ足が痛いわけです。それでまあ、あれからほんとに、引きずるようにして足、その、まあ、お参りして頂きよったら、あの、(木目町?)のにきまで参りましたら、そこへ、自動車が来て止まってから、お乗りなさいて。いや、もう、そこですからというけれども、この合楽は初めてなんですね。見当が着かなかったんですけれど、まあ、椛目から、えー、二つ、バス通ったところだと聞いとったから、それでも、親切に、ま、そこまででもいいじゃないですか、お乗りなさいと言われるもんだから、乗ったのは良かったけれども、あ、疲れたと同時に、乗った途端に(笑いながら)眠ってしもうた。ちょっとの間。それで、ほっと目が覚めたらもう、川崎まで行っとったち言うわけですねえ。それでほんならその、自動車でまたここまで送り帰して下さる訳は無いのですから、ま、川崎で下りて、またこう、後戻りしてから来とりなさいます。その中に、その竹河原さん、感じておられることですよね。ほんとに私が、一生懸命で合楽に向こうてくる、やはりあの、おー、途端に歯が痛み出したというようなことは、私は、それに、まあ、お試しを頂いて、お試しにおかげで落第せんですんだという感じがするんですけれども、歩いていかなんと、こう思っておったのに、例えば、それだけでも、なら、楽しようとちょっとこう思った心がですね、神様は一つも楽さして下さらん。やっぱり、あの、(木目町?)から合楽まで、川崎からまた、ここまで後戻りしてくる道のりというものは変わらない。そういうところからですね。あのう、竹河原さん感じられたんですね。なるほど神様は、こちらが本気で修行しようと思や、修行しようと思うことを十分に受けて下さるという事を感じたと、こう言うておられます。まさしくそうだと思いますですね。ですから、信心さして頂くものは、その辺を大事にしなければいけないと思うですね。それで、まあ、そういう風に気付かなければいけません。ね。ま、折角、乗せてもらおうと思いよったばってんが、馬鹿らしかっただけじゃなくてから、なるほど、神様が、あー、久留米から合楽迄歩かせて頂くだけの道のりを、やっぱり、歩かしてござる。そういう働きがですねえ、えー、あってこそ、生きた働きを頂ける訳でございますし、また、それが神様の生きた働きであるということも分からなければなりません。信心修行進めていく上にですね、そういうようなこともございます。お試しもございます。ね。同時に、私共が、十のものをどうでもと、こう思うたらですね、やっぱり、十のものを神様が受けて下さろうとする働きを感じますですね。それを、九なら九でやめておりますから、神様が、ね。折角、思うておった十受け取ろうとなさっておられた働きが、そういう、川崎まで乗り過ごしたといったような事になっているように思うですね。いや、なっているように思うじゃない。そうだと私は確信するんでよね。だから、信心というのはその、進めていく上に、まあ、大事なことです。同時にまた、それほどに、あの、間違いのない事ですね。どうぞ。